生というものは、まったく
不可思議としか言いようがありません。
なので、健康の秘訣はこれ!だとか、
そういう話しを聞いても、私はあまり信用しません。
それがお医者さんであったとしても
「あなたは、そう考えてるんですね」
と、そのくらいの感想しか浮かびません。
私がこれまで出会い関わってきた色んな人々の症状、
難病や奇病、そしてそれらの完治、寛解、
または、人々の死に立ち合ったりしてきて、見えてきたことは、
私たち人類は、この生に関して、殆ど何も分かってなんか
いないよ!ということです。
生とは、誠に誠に、不可思議なのです。
実際、現場で沢山の奇妙な事例を目撃します。
ワークショップの最中や、その直後に、
参加者は勿論ですが、その近親者などに、
あり得ないような身体的変化が起こることも、
珍しくありません。
今回の合宿ワーク2日目の最中。
参加者のご家族の一人が、突然、強制退院させられ、
手術延期を余儀なくされたとの知らせが入りました。
そして、本日、改めて手術の為の検査をしたら、
あったはずの問題の箇所が消えて無くなっていて、
手術そのものをしないことになりました。
以前にも、同じようなケースがありました。
あるクライアントは、胆嚢に通常はあり得ない物体が見つかり、あまりに珍しいもので、
彼女の病院での検査の時は、系列病院のドクター達が勉強の為に、
何人も集まって来る程でした。
しかし、胆嚢にあったそれが突然消失してしまいました。当然手術は中止。
系列病院中で注目の手術だったので、
それが消えたら消えたで、大騒ぎになりました。
本人はと言えば、立ち上がることさえできなかったのがまったく嘘のように
すっかり元気に動き回れるようになりました。
いったい、何が起こっているのか?さっぱり分かりません。
ワーク、セッションとはまったく無関係の可能性だってあります。
関わる人々に起こる確率として尋常じゃ無いことは確かですが。
私は、病院の治療に反対しません。
またどんな治療方法も本人が希望するなら反対しません。
というより、何にも「反対」がありません。
意見もありません。
私は、そもそも、病気を治すべき、失くすべきものだ
とも、もはや考えません。
あなたが、失くしたいと考えるのも、
またそれでいいわけですが、
ワークして、難病が治してもらえるんですね!
なんて考えでもって参加されても困ります。
あくまでも、副産物みたいな現象なのですから。
なぜ、そんなことが起こるのか?
実のところは、分からない。
誰にも、本当は分からないのです。
明日、何が起きるか分からない。
次の瞬間、何が起きるか分からない。
そういう不確定な中に、私たちは生きています。
この生とはそういうものなのだと思います。
「絶対起きない」とか、「絶対起きる」なんてことも無い。
まったくもって不確定。
だからこそ、生は、素晴らしいのだと私は思います。
安定だの、確実性だの求めることは、ナンセンスです。
この不確定性、不安定性を勇気をもって、
面白がって生きるのが知性ある者の生き方なんじゃあないかい?と、
私は考えますね。♪
※お米、醤油、味噌作りを始めた男の友の、
この味噌、旨し〜。