「嫌い」の原因を《私》が探るとき、
《私》は既に自己正当化しよう
としています。
また、《私》にとっては、
プライドを捨てる苦しさより、
現状の苦しさを維持する方がラクなのです。
《私》のメカニズムを知るが始まると、
《私》から自由になるが起こり始め、
当然のことながら、
「嫌い」からも自由になっていきます。
「自己嫌悪」からの自由でもあります。
なぜなら、自己嫌悪とは、
他者から嫌われることを怖れるがあまり、
みずからに「嫌い」を向けて、
《私》を保っている形態に過ぎないからです。